From:横関弦
県をまたぐ移動の制限が解除され2週間弱。
いかがお過ごしでしょうか。
デパートに出かけたり飲みに出歩いたりしていますか?
私たち家族は相変わらず家の周りで過ごしています。
田んぼの草刈りしたり薪割りしたり、
BBQしてお昼からお酒飲んだりといつもと変わらない週末を過ごしています。
コロナウイルスの感染者数が世界中で急増している中、
日本でもまだまだ油断できない状況ですよね。
人が集まる店舗などはソーシャルディスタンスをどのように確保するのか試行錯誤を繰り返していると聞きます。
そんな中、あるニュースの番組を見ていて驚いたことがありました。
それは…
それって安全?
それはあるカフェのソーシャルディスタンスの考え方に疑問を持ったからです。
そのカフェは二人掛けのテーブル席を向かい合わないように一人掛け専用にして、
隣のテーブル席とは隣合わないように向かい側に座らせるというものでした。
文章では分かりにくいかもしれませんがジグザクに座っているイメージです。
ソーシャルディスタンス考えてるな~って一瞬思いがちですけど、
これってよく考えてみれば何の対策にもなっていませんよね。
コロナウイルスって飛沫感染ですからいくら真正面ではなくても向かい合っている時点でそれはソーシャルディスタンスではありません。
しかも人との距離もとても2m空いているようには見えませんでした。
(1mは空いているようには見えましたけど…)
それなのにたくさんのお客さんで混雑している様子。
有名チェーン店ですから当然かもしれませんが、やっぱりどこか違うと思いました。
もっと店側がちゃんとしなきゃとかこういうお店には行くなってことではないです。
ソーシャルディスタンスの対策しているから安心、みたいな感覚でいませんか?
あまりにも思い違いをしているようで気になりました。
安心=安全ではない
安全は「安全性」というように客観的な意味で使われ、安心は「安心感」というように主観的な意味合いがあります。
「安心」と「安全」はよく混同されて使われてしまいます。
先ほどのカフェではソーシャルディスタンス対策をしているから安心で安全と思い込んでしまうお客さんがたくさんいたようですけど、客観的に考えると安全ではありません。
必ずしも真正面に飛沫するって保証はないですし。
どんなところ行くにもマスクを付けるってことも安心と安全を混同してしまっているのではないでしょうか。
マスクつけていれば安全で安心でしょうけど、そもそも通り歩いているだけで感染します?
私も流石にお店入るときやお客さんとの打合せ時にはマスクしますけど日常生活ではまずマスクすることはありません。
ここ白糸ではそもそも人の出が違いますから参考になるかは別ですけど。
安全かどうかは考えずに安心ばかりを求めてしまっているのではないでしょうか。
建築業界でもよく「安心」と「安全」という言葉を使います。
お客さんと話していても、
「うちは自然素材を使っているから安全ですよ」とか
「耐震性に優れているから安心です」とか。
安心と安全を混同して使ってしまうことはあります。
本来は「客観的なデータに基づいていて危険もなく安全だから、
不安もなく過ごせるから安心」が正解なのでしょう。
安心はお客さんに感じてもらうこと。
安全は私たち業者がお客さんに与えられるもの。
考えてみれば「安心」ってこちら側が言えるものではないですよね。
それはお客さんに判断してもらうこと。
安心っぽい雰囲気づくりだけでは意味がありません。
今一度、安心と安全についてよく考えてみなくては。
P.S.
自粛を推奨したりお店の対応を批判したりするものではありませんよ。
これからもコロナとは向き合っていかなくてはならないでしょうし、自分でよく考えてみようと思っただけの話です。